旅立ったおばあちゃんへ|大阪の阿倍野区でシンギングボウル・ネパール雑貨・ネパール料理なら『わのわCAFÉ(わのわカフェ)』

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旅立ったおばあちゃんへ

つぶやき

魂が抜けたおばあちゃんの身体は、22日の夕方に阪大病院へ旅立っていきました。
おばあちゃんが脳卒中で夫を亡くした後、献体の「白菊会」に入ったのは30年前のことです。
いつも誰かの役に立ちたいと願っていたおばあちゃんでした。
元気なときはいつも専用ゴミばさみを持って外でゴミ拾いをしてました。
一ヶ月ほど前から外へ出にくくなり、
「もうあんたらのとこで掃除やら手伝いやらしてやられへんな。役立たずになってしもた」
といって寂しそうにしていました。
でも、こんなにしんどいのにみんなのこと思ってやさしさをふりまいてくれるおばあちゃんがいるだけで
みんなどんなに励まされてるかわからへんよ、と言うと
「このしんどさと闘う事が私の課題なんやな。全部ひきうけてがんばるわ。」
といって、前向きな姿をみせてくれました。
世話になるのをガンコにこばむおばあちゃんでしたから、
それに甘えて一方的に愛情をもらうばかりで、なんにもしてあげられませんでした。
今頃、おじいちゃんに甘えておんぶしてもらいながら、いろんな積もる話をしているかなあ。
やっぱり誇れる2人の娘の話をしているのだと思います。
生きて行くのは楽しいことも沢山あるけど辛いこともいっぱいある、
そんな現実を教えてくれたのもおばあちゃんでした。
楽しいときもその終わりが来ることを想像して寂しくなり、
幸せなときもいつかこの幸せが終わってしまう、と思って悲しくなる、
いつもそんな先の心配をしてしまうおばあちゃんでした。
子どもの時からいっぱい苦労したんだね。
安心したかったけど、周りでいろんなことが起きすぎて、
何度も安心が壊されてしまったんだろうね。
心の底から安心できなくなってしまったんだろうね。
名前を清子から希余子に変えたのも、不安を希望に変えたかったからなんだろうね。
でももう心配しなくてもいいんだ。
身体も時間も空間もとびこえて、「いま」の幸せのなかにどっぷりと安心していてほしい。
誰の役に立とうとしなくてもいい、すべての役割から解放されて、抱かれている実感を味わってほしい。
もう壊されることのない永遠の安心の中に、すべてをゆだねて、たゆたっていてほしい。
そんな風に思います。
おばあちゃんの1000体彫った木のお地蔵さん、ひとつもらいました。
寝顔が、お地蔵さんとおんなじ顔になってたね。
最後まで短歌をつくってたおばあちゃん。
何度も入選して、かっこよかったね。
私たちのために自分の人生を捧げてくれて、ありがとう。
自分の身をさておいて私たちを守ってくれてありがとう。
さよなら、おばあちゃん。
もう安心してね。
 子に尽くすのみなりし生終うる日を
 沈む夕陽よ燦と輝け
希余子
みなさま、やさしいお悔やみの言葉、ありがとうございました!!!!
I love you all!!!!!
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